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第二部 鎮魂曲 ─1─ 地位と名誉と

Author: 内藤晴人
last update Last Updated: 2025-03-23 20:30:00
下級とは言え、貴族の物としてはあまりにもみすぼらしい墓石に、老婦人は持ってきた花束を手向けた。

そしていつものように合掌し深々と頭を垂れる。

この冷たい石の下には、彼女の一人息子がその妻と共に眠っている。

隊長命令に背くという武官としては致命的な行為を犯し、皇帝から死を賜った息子と、将来を悲観しその後を追った妻が。

その結果老婦人とその孫の家は、代々受け継いできた騎士籍は皇帝預かりとなり、貴族籍より除名という厳しい処分を受けた。

今では周囲からは裏切り者と後ろ指をさされながら、皇都の片隅でひっそりと身を隠すようにして暮らしている。

改めて老婦人は、墓石を見つめる。

除名された貴族籍への復活と預かりとなっている騎士籍とを取り戻すという悲願のため、最後に残された肉親である孫が今戦場へ引き出されようとしていた。

けれど彼女にとって、今更身分などはどうでも良いものになっていた。

とにかくその無事の帰還を祈るため、彼女はここへやって来たのである。

けれど墓石は何も語ろうとはしない。

深く溜息をつき、彼女はその場を離れた。

人気のない、木漏れ日が降り注ぐ共同墓地の中を、老婦人は背を丸めながら家路につく。

近く皇都を離れる孫のために、好物を用意してやろう、と思いながら。

と、その時だった。

墓地の中でも一際じめじめとした所にある、皇国に仇なす逆賊者達が埋められている場所へと向かう苔むした脇道から、前触れもなく一人の青年が姿を現した。

殆ど訪れる者もない、忌まわしい場所へと続くその道から。

年の頃は、老婦人の孫と同じくらいだろうか。

一目見てそれと解る下級神官の質素な長衣を身につけ、首からは何やら古代語が刻まれた護符を下げている。

全く癖のない真っ直ぐなセピア色の髪は背に届くほど長い。

自分を見つめる視線に気が付いたのか、青年は一瞬驚いたように顔を上げる。

そして、僅かに会釈をすると足早に遠ざかっていく。

ほんの刹那、交錯する両者の視線。

殆ど黒と言っても良い青年の藍色の瞳から老婦人が感じ取ったのは、言葉に出来ないほど深い後悔の念と寂しさだった。

遠ざかっていく青年の後ろ姿を、老婦人はなぜかずっと見送っていた。

   ※

ユノー・ロンダートは悩んでいた。

いや、むしろ困惑して
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  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─28─ 乱戦

    「どういうことだ? ゲッセン伯は外を守っているはずだろう?」  突然乱入してきた白の隊を目にし、ミレダは戸惑ったような声を上げる。  数の上では近衛と朱の隊の合計のほうが遥かに多いのだが、彼らの大部分には実戦の経験がない。  形ばかりの武術は、実戦に裏打ちされた武力に太刀打ちができなかった。  近衛たちは目に見えてその数を減らしていく。  その隣に立つフリッツ公は白の隊乱入の理由を知ってはいるのだが、今更言っても仕方がない。 「殿下、公爵閣下、お早く建物の中へ!」  自らの命を盾にして血路を開いていく近衛と朱の隊の姿に、ミレダは思わず唇を噛む。  そんなミレダの手を取りフリッツ公は先へ進もうとするのだが、ミレダはなぜかその場を離れようとしない。 「やめろ! 双方剣を引け! この場をなんだと思っているんだ!」  中庭のそこかしこで繰り広げられている乱戦に向かい、ミレダは叫ぶ。  だが、その声とは裏腹に芝の上には赤い血が花が咲いたように飛び散り、無数の骸が転がっている。 「殿下、参りましょう!」  これ以上この場にいては危険と判断したフリッツ公は、ミレダを一番近い建物の中へと導こうとする。  しかし、なだれ込んできた騎士たちの戦いに巻き込まれその手が離れた。  両者の間では、近衛と朱の隊そして白の隊が入り乱れ、無秩序な争いが始まった。 「殿下!」  フリッツ公は叫びながらミレダの方に向かおうとするのだが、武器を持たない状態ではあまりにも無謀である。  近衛たちは必死にフリッツ公を押しとどめようとする。 「いけません、閣下! せめて閣下だけでも退避を……!」  フリッツ公とミレダ、両者の距離は次第に広がっていく。  取り残されたミレダが断末魔の叫びが聞こえる方に目をやると、ひと際豪奢な白い甲冑をまとったゲッセン伯が、自ら白刃を振り回していた。  怒りに満ちた視線を投げかけながら、ミレダは思わず叫んでいた。 「血迷ったか! 和議の席を混乱させるに留まらず、皇帝の代理人たる私達に弓を引くとは!」  けれど、ゲッセン伯は血走った眼に怪しい光を湛え、不気味に曲がった口から奇妙な言葉を発した。 「皇帝の代理人など笑止千万! 正当なるルウツの皇帝陛下を差し置いて、その位を簒奪しようとする愚か者らを討ち果たす!」 「どういうことだ?

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  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─24─ 攻防

    「……確かにこれは父上の字に間違いない。けれど、それにしても……」  フリッツ公イディオットが持参した件の日記帳を一読したミレダは、ことの真実を知り深々とため息をついた。  無理もない、妻の侍女を見初め関係を持ち、それが妻に知られそうになったため弟に押し付けたのだから。  けれど、予想通りの反応だったのだろう、イディオットは苦笑いを浮かべている。 「誰もが聖人君子というわけではありませんよ。こと、先帝陛下は婚礼当日までお相手の顔を見ることがなかったそうではないですか」 「確かに、そうだったらしいけれど……」  未だに納得のいかないような表情で、ミレダは目の前のイディオットをじっと見つめている。 「いかがなさいました?」  思わず首をかしげるイディオットに、ミレダはためらいがちに問う 「この間、従兄殿は心に決めた女性以外は后にするつもりはないと言っていたけれど、それは……」 「ああ、その言葉には嘘偽りはありませんよ」  即答し、にっこりと笑うイディオットに、ミレダは安堵の息をつく。  そして日記帳を閉じるとイディオットに向けて差し出した。 「議会を黙らせるにはこれで充分だろう。でも、そうすると従兄殿は……」  皇帝に即位しなければならなくなる。  そう不安げな視線を向けられて、イディオットは日記帳を受け取りながら答えた。 「証拠が出た以上、従わざるを得ないでしょう。それに、皇家の重さをお二人に背負わせてしまったという引け目もありますし」  本来ならば妾腹の生まれではあるが、男子である自分が矢面に立つべきだったのに。  そういうイディオットに、ミレダは首を左右に振る。 「いや。万一従兄殿が兄として生まれていたら、今頃は……」  先帝の皇后は美しく聡明で家柄も良いのだが、唯一の欠点がその嫉妬心の強さだった。  正妃である自分よりも先に妾腹の子が生まれるとあってはどうなるか、想像に固くない。  だからこそ先帝は自らの子を身ごもった侍女を弟に娶らせ、二人の命を守ろうとしたわけだ。  やれやれとでも言うように息をついてから、ミレダは足を組み直す。  そして上目遣いにイディオットを見やると、おもむろにこう切り出した。 「……ところで従兄殿、私に隠れて一体何をしているんだ?」  突然今までとはうって変わった鋭い口調でミレダから問

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